文月のたより
2月24日に始まったロシアのウクライナへの侵略。当初は世界中の良識で停戦が実現すると思っていたのに、もう、4か月もたったのに、少しもいい方向へ向かいません。それどころか、ヨーロッパ、アメリカがウクライナへの武器援助に舵を切ったことで(ウクライナからの要請もあったが)、武力対武力の構図が出来上がり、結局力の強いものが勝つ、市民は犠牲になるばかり。アメリカは軍需産業大儲け、兵士は出さなくていいし、甘い汁を吸っているばかりでないでしょうか?とにかく、力対力でなく、外交努力で戦争を終わらせたいです。 一日も早く! 第208通常国会が、15日閉幕しました。 ウクライナ危機に乗じて、軍拡が声高に叫ばれました。敵基地攻撃能力だの、軍事費を対GDP(国内総生産)比で2%以上(なんと5兆円!)にする、など。歯止めとなる憲法9条の改悪も急いでいます。物価高騰も歯止めがかかりません。消費税減税も賃上げも少しもいい方向にむかいません。大企業の内部留保を出させ、税金をきちんと取れば、社会保障や、賃金引き上げに使えます。国民が豊かに暮らせることを考えるのが政治の第一歩です。 オーストリアの首都ウイーンで6月21日から始まった「核兵器禁止条約第1回締約国会議」締結国(現在65ケ国)だけでなく、30か国が、オブザーバーとして参加しています。けれど、被爆国である日本の政府は参加しません。一番に締結するべきだし、せめて、オブザーバーとして参加すべきなのに。アメリカに遠慮しているのです。 核兵器廃絶は世界の流れです! 核兵器が軍事力の抑止力になるというのは幻想です!ウクライナを見ればわかります。 今、沖縄の石垣島が大変なことになっています。 自衛隊が中国を視野に入れ、地対艦、地対空ミサイル部隊など570人規模の基地を建設しているのです。この地域に住む三分の二は嘉手納基地建設で土地家屋を強制収用された人たちとの事。地元の大きな反対の声を押しつぶして進められています。 北の大地、北海道の矢臼別演習場でも、米軍と自衛隊の共同訓練が進められています。軍拡になれば、いまある民有地への圧力が高まりそうです。 それを跳ね返すべく矢臼別では、地道な斗いが大地に根を張って繰り広げられています。 今年は、3年ぶりに「平和盆おどり」が開催されます。 6月22日公示、7月10日投票で、参議院選挙が行われます。 戦争か平和か、我々の未来を決めることになるだろう選挙です。 ぜひ、投票に行きましょう! 8月14日から10月24日、ラピュタ阿佐ヶ谷のモーニングショウのお知らせです。 |
7月16日(土) 「ひろしま」 |
場所 : 宇都宮市文化会館 小ホール 時間 : 10:00~ / 14:00~ 主催 : 宇都宮平和映画会実行委員会 担当 : 星 考典 電話090-4375-1462 栃木映画センター 電話0288-22-2610 |
7月23日(土) ドキュメンタリー映画 |
場所 : 北海道高等学校教職員センター 大会議室 時間 : 10:00~ / 12:00~ / 14:00〜 / 16:00〜 主催 : 「矢臼別物語」上映実行委員会 担当 : 労働学習協議会 阿部 久 連絡先: 070-5619-4942 |
7月24日(日) ドキュメンタリー映画 |
場所 : 北海道当別町 田西会館(当別町弥生1091) 時間 : 14:00~ / 16:00〜 主催 : 「矢臼別物語」上映会 担当 : 鈴木岩夫 連絡先: 090-5980-2195 |
8月4日(木) 「ひろしま」 |
場所 : 埼玉会館小ホール さいたま市浦和区高砂 時間 : 18:00~ 主催 : 平和のための埼玉戦争展 担当 : 埼玉映画文化協会 鹿目祐一 連絡先: 048-822-7428 |
8月6日(土) 「ひろしま」 |
こちらの上映会はコロナ感染者拡大につき中止となりました。 場所 : 県立熊野古道センター JR尾鷲下車 ふれあいバスで古道センター下車 時間 : 主催 : 「8月が来るたびに」出版委員会 担当 : 仲 連絡先: 090-5647-1628 |
8月6日(土) 「ひろしま」 |
場所 : 小川町立図書館ホール 時間 : 13:00~ 主催 : 小川町平和のための戦争展 担当 : 埼玉映画文化協会 舟橋 連絡先: 048-822-7428 |
8月21(日) 「狂宴」 |
場所 : ラピュタ阿佐ヶ谷 時間 : 10:30~ ★モーニングショーのみ 担当 : ラピュタ阿佐ヶ谷 連絡先: 03-3336-5440 *あらすじ等、欄外↓に掲載! |
8月28日(日) ドキュメンタリー映画 |
場所 : 大田原トコトコ視聴覚室 JR西那須野駅からバスでトコトコ大田原前下車 時間 : 13:30~ ★上映終了後監督のトークあり 主催 : 上映実行委員会 担当 : 今岡 連絡先: 090-8174-7257 |
*「狂宴」のあらすじ・・・1950年、朝鮮戦争の折、古都奈良に突然出現した、朝鮮戦争帰りの米軍相手のための慰安施設「RPセンター」。それをめぐる付近の農民と米兵、基地賛成派と反対派をめぐるドラマが展開する。そのおかしさ、哀しさ、怒りの中に、日本の抱える問題を浮かび上がらせている。
監督:関川秀雄 / 原作・構成:八木保太郎 / 脚本:片岡 薫 / 撮影:浦島 進
出演:望月優子 / 三島雅夫 / 東野英治郎 / 中原早苗 / 岸 輝子
○「荷車の歌」・仕事の過酷さ、嫁姑の関係、時流に翻弄される仕事の選別、親子の情など、今の人が見てもよくわかる内容だった。 ・私も田舎の出なので、身につまされた。暖かい目線でシビアな状況を表す山本監督はすばらしいです。 ・戦争を絡ませた沖縄、広島、原爆も上手く映画に撮り入れている。 ・女性差別が激しい時代があったのだと改めて思った。時代が少しづつ近代化していることが嬉しい。それは、女性たちの運動があったからでしょう。三国さんの歯を抜いてまでの演技がすごい。 ・キャラメル10円のカンパの発想がすごい。こうした映画や運動が今にも生きないだろうか 。 ・母が本を進めてくれたがまだ読んでいなかった。自宅に帰ってすぐ読みます。 ・三国連太郎の役割はひどい男の姿です。演技でやっているだけだが、許せない男に見えた。 ・望月優子さんも、三国連太郎さんの演技がすばらしかったです。 ・『心に虫がいる』というセリフにこの作品を支援した農業に携わる世代を超えた共感があったと納得する。構図も演出も台詞もすばらしい。 ○「武器なき斗い」・山宣を調べ、資料館にも行ったので、映像も興味深く見た。名優ぞろいで驚いた。 ・労働運動も変質させられ、政治状況も見えにくくなっています。今より大変な時代に『私の背後には,わたしを支持する人々がいる』とその生き方を貫き、亡くなられたあとも慕う人がいる。真っすぐな生き方が凄い。 ・興味もあってきましたが、とてつもなく勉強になりました。ああいう方に、もっと政治で活躍してほしかったです。 ・私にとって、初めての白黒フィルムでした。フィクションの中に混ざったリアルな映像と全体の中にある小さなストーリー一つ一つにとても心打たれました。とても、面白かったです。 ・学生時代に見た。刃で倒れるシーン迫力があり、自分がやられたような感じでした。二度と、反動と戦争は許してはならない。 ・真実を知って、苦労の中で、真実を追及して映画を作製された方々に敬意を表します。 ○「人間の壁」・二度目だが、ダイナミックな作品と感じた。一人の人間を変えることの難しさがひしひしと伝わってくる。香川京子、小沢栄太郎の存在感が素晴らしい ・どんな未来を考え、どんな子供を育てるべきか、様々な人と語り合っていきたい。 ・元教員です。組合での日々、先輩たちの悩み、人間模様が良く描かれていて感心した。 ・とても丁寧なつくりで、2時間半、長さを感じなかった。香川さんがすばらしい。 ・今の教育現場が気になる。このような映画がなかなか観賞されないのが残念山本監督なら今の時代取り上げる題材はあるのにそうした映画がほとんどないのが残念です。創る側、見る側の協力が欠かせませんが、独立プロの存在が待望される。 ○「真空地帯」・戦争は、いかに非人間的、非人道的か。軍備拡張で、日本は被爆国として世界へ平和を発信すべきなのに、核禁止条約にも背を向けひどい。みんなに見てほしい。 ・軍隊の本質を表している。戦後すぐによくつくれたと思う。 次回につづく |
1945年夏、15年間続いた「アジア太平洋戦争」の敗戦は、「日本国憲法」と「民主主義」という、新しい時代の始まりでした。映画界にもその波は押し寄せ、「映画の民主化」と「労働のありかた」をめぐって各映画会社でも闘われました。特に、東宝撮影所(東宝争議)は激しく、東宝を解雇された人々や、レットパージによって映画会社から追放された人々が、「独立プロダクション」を起こし、企業に頼らず自分たちの作りたい映画、人々が望む映画づくりを始めました。 その出発点にいたのが、山本薩夫監督、今井正監督を中心とした、スタッフ・俳優たち。資金や機材はなくても、才能と情熱だけは負けないと、名作映画を生みだしました。それらを総称して「独立プロ映画」と言います。 「独立プロ」映画の第一作は、東宝争議の解決金をもとにつくられた、『暴力の街』(山本薩夫監督 1950年)で、その後次々と、労働組合、民主団体、劇団などと共に、人々のカンパも集めながら、たくさんの映画作品が創られました。 今も、これらの作品は少しも色あせず、映画を見た人たちから「勇気をもらった」、「人生について考えさせられた」、「明日への希望を見出した」などの感想が寄せられます。人々に生き方を変えるほどの影響を与えられるということに、改めて、映画の持つ力の大きさを感じます。
また、戦後の労働運動、平和運動、民主運動に与えた影響もはかりしれません。そこには、今、私たちが直面する政治の腐敗、教育の問題、社会の問題、戦争と平和の問題が、常に弱者の立場で描かれてます。 まじめに一生懸命に働く人々、差別され、虐げられ苦しんでいる人たちの声を聞き、それを映画にしたからこそ、多くの人に支えられ、時を経ても色あせない素晴らしい映画が完成したのだと思います。 |
教育って? 学校って? | |
戦争がもたらしたもの | |
労働者として生きる | |
凛として生きる | |
生き方を変えてみると | |
差別を乗り越えて | |
家族とは | |
2001年〜 |
「戦争か平和」かの最前線にある厳しい北海道矢臼別演習場をめぐる斗い。しかし、ここで繰り広げられている運動はどれも、優しく、たおやかで、楽しい。人々は、誰とでも心を開いて語り合い、誰をも受け入れる。そして、次の世代の若者たちがこのバトンをしっかり受け継いでいる。その根底に流れるものは―――――北海道道東には広大な酪農地帯が広がっている。その一画に日本最大、17万ヘクタールの広さを持つ陸上自衛隊矢臼別演習場が広がる。1962年、当時、農村、酪農地帯だったこの地を買収して作られたこの演習場の中には、買収を拒否した2人が所有していた民有地があり、59年目の今も人が住み続けている。電気も水道も通り、電話も通じ、手紙も新聞も配達され、全国から大勢の人々が集まってくる。なぜ、こんなことができるのだろうか?映画は、2014年から6年にわたって、ここに住む人、長年にわたって住民と土地を守り続ける人々の姿を、この地で展開される夏の『平和盆おどり』、冬の『平和もちつき望年会』を通して描いている。また、全国からやってくる人々が地元に帰ってどんな活動をしているのか、沖縄連帯の集会、福島復興支援、原発反対の署名などが映し出される。優しさと工夫に満ちたここに集う人たちは未来への希望を胸に明日へむかってゆっくりと歩み続けている。
監督:山本洋子
矢臼別の平和運動には、さまざまな風が吹いている。ある時は、米海兵隊、自衛隊の訓練へのたゆみない監視から生まれる厳しい抗議の風。ある時は、笑って、泣いて、悩んでみんなが心ひらくやさしい風。ある時はだれもがどんな人も受け入れるたおやかな風。 私が矢臼別に足を運んだのは、1980年代半ば。穂積肇氏によって描かれた版画の力強さ、優しさに目を奪われたが、自衛隊の演習場の中に、普通に人が暮らしているということが驚きだった。なぜ、そんなことができるのか?ぜひ映画にして解き明かしたい。その思いは私の中で小さな種火となった。再び燃えたのは、2014年の『第50回平和盆おどり』。そこから撮影を始めて足かけ6年。どんな場にも、歌があり、踊りがあり、さまざまな文化が交錯し、人と人がつながっているようすは万華鏡のようだった。何より、人々は自由に発想し、行動し、あらゆることを楽しんでいる。 矢臼別に集う人々が紡ぎ出す生き方は、私たちが生きていくうえでのヒントにあふれている。 この風をしっかりと受け止めて、未来へつないでいきたい―――。矢臼別と全国とで、世代をこえて手をつなぎあって――――
国際政治学者:畑田重夫
北の大地北海道に「陸上自衛隊矢臼別演習場」と称する広大な基地がある。ここは単に自衛隊のみならず在日米軍もかっての沖縄県道104号越えの実弾演習をわざわざここにきて実施している米軍の基地でもある。 『平和に生きる権利』はゆずり渡すことはできないと長期に渡ってねばり強くたたかっているここの人びとには悲壮感はない。恒例の平和盆おどりをふくめ、明るく楽しくたたかいつづけている。山本洋子監督の六年間の執念の結実をぜひ観ていただきたい。そして、沖縄をはじめ全国の反基地闘争の共通の学習兼観賞の素材としていただきたい。
「矢臼別物語」製作支援の会事務局長:吉野宣和
矢臼別の人々の楽天的な明るさは、60年前「演習場2万町歩を返せ」と農民、学生、労働者が叫び始めた時から培われてきたものに違いありません。 1年間のたたかいを誇ってもいい。活動家でなくてもいいんだ。監視テントのおにぎりを作るのだって平和運動なんだ。ストーブの薪をつくるのも立派な活動なんだ。自分でで きることで参加する―それがたたかい。「矢臼別の人」はそう思っています。川瀬氾二さんがそうであったように、あの人がそうしてきたように、「矢臼別には誰にでも居場所があり」「ここにいるのがたたかい。足しげくここに通うのがたたかい」なのです。映画はそういう人たちの姿を描いてくれています。だからこそこのたたかいは半世紀を経てなお途絶えることなく、これからもつながっていくのだろうと思わせてくれます。 沖縄の人々の戦後75年のたたかい、でも失われないあのおおらかさにはとても及ばないけれど、矢臼別のたたかいにも未来を感じます。この映画が多くの人々の目に留まることを期待しています。
上映に向けて 本作品は各地域での社会活動や文化活動などにに携わる方々に是非ご覧いただきたい作品です。 長年取組んできた活動を次世代にどうバトンタッチしていくのか…今、多くの団体で抱えている問題を本作品を通して、議論を深めて頂けたら幸いです。 小規模な集まりでも上映が取り組めるように料金設定をいたしました(直接お問い合わせください)。 コロナウィルスが収拾してない現在(2021年4月現在)、上映に当たっては主催者団体で十分なソーシャルディスタンスの対策の下、行って頂けたらと思います。 尚、上映会は団体でも個人でも取り組んで頂けます。 ◎上映料などのご質問はメールまたは、独立プロ名画保存会 Tel&Fax 03-5929-7326 にお問い合せください。 まずは取り組んで頂き、皆さんの活動の力にこの作品がなれたらと願っております。 |
ナレーション |
余 貴美子 |
監督 | 山本 洋子 |
企画・製作 | 山本 駿 山本 洋子 |
プロデューサー | 桑山 和之 |
撮影 | 野間 健 |
編集 | 小林 由加子 |
整音 | 深田 晃 |
版画 | 穂積 肇 |
挿入歌 ・ 作詞作曲 | 菊池 晢史「矢臼別にきたのなら」「矢臼別のうた」「かがり火のうた」 |
「矢臼別物語」製作支援の会 | 畑田 重夫 三宅 信一 吉野 宣和 |
特別協力 | 日本平和委員会 |
映像・資料提供 | 日本電波ニュース社 / 法学館憲法研究所/矢臼別平和資料館 / 三宅 信一 |
録音スタジオ | シネマサウンドワークス |
撮影協力 | NPO法人スワンの家 |
チラシ・Webデザイン | スタジオ ほもり |
制作・著作©️ | 独立プロ名画保存会 |
●北海道の基地の実態はほとんど知らずにいました。日本全体が沖縄化していることも映像で生々しく伝わってきて、本当に恐ろしいと感じた。日々の生活と、基地の問題がつながっていることを若い人達に知ってほしい。 ●北海道に基地があることを初めて知りました。しかも米軍まで来ていたなんて。道路を戦車が通っていくんですね。市民の目線で平和を守っていく行動は大事で、とても尊いことですね。監督の話も聞けて、有意義でした。 ●感動の一言につきます。連帯の強さ、確信にみちた笑顔、引き継がれる運動、世界に誇る斗いです。感動とリスペクトをささげます。 ●かつて、三宅先生と訪れた。多くの人に矢臼別の由来、斗っている人々の存在、思いを知ってもらえていい。北海道、沖縄、砂川、横田などの人たちが連帯できるきっかけになればいいと思いました。 ●斗いのヒントが沢山感じられた。 ●映像の明るさと美しさがテーマの重さを損なわないのがすごい ●インタビュー構成が充実していた。 |
1910年7月15日 鹿児島県に生まれ、愛媛県で幼少期を過ごす。 その頃、画家の重松鶴之助と知り合い大きな影響を受ける。中学の時に一家で上京。 早稲田大学中退後、松竹蒲田撮影所に入社。成瀬巳喜男監督の助監督となるが、1934年成瀬監督について、PCL(東宝の前身)に移籍。 1937年に初監督作品『お嬢さん』をつくり、その後は『母の曲(主演 原節子)』など大ヒット作品を手掛ける。 戦時中、軍隊での理不尽な経験から、社会派作家としての方向性を見出し、戦後は、亀井文夫と『戦争と平和』を共作。 1948年東宝争議によって映画会社を退社し、独立プロを設立。
『暴力の街』 『真空地帯』 『箱根風雲録』 『日の果て』 『太陽のない街』 『浮草物語』 『人間の壁』 『荷車の歌』 『武器なき斗い』 『松川事件』など、名作映画をうみだし、社会派の巨匠とよばれる。
一方、大手の映画『忍びの者』『氷点』『白い巨塔』『華麗なる一族』『不毛地帯』『あゝ野麦峠』など、骨太で時代を代表する大ヒット映画をうみだした。
1983年8月11日死去。享年73歳。
1912年1月8日生まれ。東京都出身。住職の長男として生まれ、東京大学を中退。 1935年に京都の映画会社「J.O.スタジオ(後に東宝と合併)」に入社(同僚に市川崑監督)。 1939年 東宝『沼津兵学校』で初監督。戦前は9本の作品をつくる。戦後は、49年『青い山脈』、 50年『また逢う日まで』を、大ヒットさせる。50年 東宝を退社。 以後、独立プロ映画と東映を中心に、名作映画をつくり続ける。
『また逢う日まで』『にごりえ』 『真昼の暗黒』『米』『キクとイサム』 で、キネマ旬報のベストワン。 『武士道残酷物語』では、ベルリン映画祭グランプリに輝く。 『ひめりゆりの塔』『民衆の敵』『橋のない川 1部』 『橋のない川 2部』など、山本薩夫とならぶ社会派の巨匠として活躍。他にも 『どっこい生きてる』 『山びこ学校』 『ここに泉あり』 『婉という女』 など多数。
1991年11月22日死去。享年79歳。
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1946年~48年、戦後民主主義の息吹あふれる中で、東宝大争議が斗われた。 争議後、東宝を出た映画人を中心に、企業に頼らない「独立プロ」を起こし、大衆が真に望む映画、ベストテンに残る名画を山本薩夫、今井正、関川秀雄、家城巳代治などを中心につくりだしていった。1983年、山本監督の死去の折、戦後のこれらの名作の顕彰、収集、上映のため、ゆかりの人々によって㈲独立プロ名画保存会が設立された。その後山本監督の 長男・山本 駿が引き継ぎ、民主的な映画の製作も手掛けるようになる。 現在は監督・山本洋子が代表を務めている。
有限会社 独立プロ名画保存会
代表 山本 洋子
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TEL&FAX: 03-5929-7326
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